齋藤大悟:Daigo Saito

Dialogue: with Waves

山の日に

すでに廃校となった母校の校歌に、「朝夕あおぐ鳥海の、お山に今日も誓いましょう」という一節がある。教室からいつも望める鳥海山は、知らず知らずに私の自然に対する感覚を育んでくれていたように思う。「わー、凄い!」とか、「綺麗だな!」とか、幼少の頃のこうした感覚を、この歳になって少しは言語化できるようになってくると、育まれたことへの自覚が促され、不思議と感謝の気持ちが湧いてくる。そして「写真」が、その大切さを気づかせてくれる。

今日の鳥海山は流れの速い雲に覆われていた。山側は暗い一方で、海側は明るく、青空が見えていた。ここ何日か、海は雲ひとつない景色を見せていたので、海原に落とす雲の陰影がなんだか新鮮に目に映った。波際では秋の雰囲気にも似た海風を感じながらシャッターを切っていた。しかし、予報を見ると明日から30℃超えの日が続いている。

今夜は窓の外からコオロギの鳴き声が聞こえる。鳥海山が育てた感覚が風情を感じさせてくれるのだろうか。自宅からいつも望める鳥海山は、今尚、知らず知らずに私の感覚を育んでいることを思いたい。

 

拳湖

所用からの戻り、土門拳写真美術館に立ち寄る。平日の館内は来場者も少なく、静かにゆっくりと作家たちの世界に浸ることができた。写真作品だけでなく、谷口建築やイサム・ノグチの彫刻など、名匠たちが生み出した「空間」に身を置くことができるのも、ここに何度も訪れたいと思う理由の一つになっている。

美術館を出て、拳湖(白鳥池)の畔を散策する。斜光線が、遠くの谷口建築や風にそよぐ水辺の夏草に繊細な陰影を落とし、景色がぐっと奥行きを帯びて胸に迫ってきた。帰り際、拳湖名物の鯉たちが口をパクパクさせて見送ってくれた。何気ない日常に戻るためのささやかな区切りとなった。

 

竹の子族

昨日は、土門拳写真美術館で開かれた渋谷典子さんのギャラリートークに出席。現在、美術館では特別展「Double Body-細江英公と土門拳」と、KDMop Photo Selection 渋谷典子「竹の子族/映画の人々」が開催されていて、土門拳と酒田にゆかりのある作家たちの写真観に触れられる貴重な機会となっている。

ギャラリートークは、写真と共にある渋谷さんの道のりを、淡々としたリズムで、静かに、時に笑いを誘いながら、終始自然体で語りかけてくるような流れだった。まず、伝説的な私塾と言われるWORKSHOP写真教室に入塾したお話では、講師である東松照明氏と森山大道氏とのエピソードについて拝聴した。東松氏は「僕を先生と呼ばないでください」と言われ、網の目のように皆と一緒になって学ぶことを促されたこと、森山氏は授業をせずただ将棋ばかりしていて業を煮やした渋谷さんが氏に一言したが、後になって将棋をしている場面を撮るべきだったと気付かされたことなど、このエピソードだけでも両氏の人となりや写真観が立ち現れてくるように思えた。東松氏の「僕は透明人間」、森山氏の「写真は自由、なんでもいいんだよ」という言葉が、今も渋谷さんの根底にあると言われていた。

「竹の子族」に関しては、今回の展覧会告知を見るまで私はまったく知らなかった。年代的にはうちの親世代だと思うが、母親にたずねてみると、都会で起こっている現象で遠く縁のない出来事として受け止めていたという。そのとき何をしていたか聞くと、「会社で働いていた」と返ってきた。竹の子族の撮影では、渋谷さんご自身も若者たちと一緒になって楽しみ、面白おかしく、若者たちのエネルギーが渦巻く中を、共に渦になって撮影している感覚だったという。レンズは35mm、長玉でも50mmを使われていたようで、選択される焦点距離が、そのまま対象との関係性を表しているようにも思えた。

「映画の人々」に関しては、名優の方々とのエピソードを始め、このご時世ではありえない昭和のリアルに触れた。印象に残っているのは「カメラを持っているとこんなにも近づけるんだ」という一言。あまりのオーラに近づき難い人でも、カメラを構えるといつの間にか触れそうなほどに接近していたという。

このほか、渋谷さんが近年取り組まれている地元酒田の風景を写した作品が、展示室へ向かう通路の壁面に10点ほど展示されていた。この通路は、窓からイサム・ノグチの彫刻や谷口吉生建築の一角を眺められるポイントであり、外光がプリントを照らし出して酒田の空気感と共にあるような印象を受けた。渋谷さんは、地元でありながら酒田のことは何も分かっていなかったと気付かされたことを契機に、酒田を訪れるたびに好きな港に行き、街をぶらぶらし、面白いと思ったものを写しているという。ここにも、ご自身の自然体な姿勢が静かに表れていた。これまで「撮れない」という時期はなく、スランプとは無縁だったことや構図を考えて撮らないことは、渋谷さんの姿勢やお人柄から自然に生まれてくるスタイルだとも感じた。特に印象に残っているのは、写真はコミュニケーションであり出会いの場であるという渋谷さんの、多くの方々との関係性に向ける感謝の言葉だった。

 

イメージの流れ

4月のことになるが、忘れないうちに感想をまとめておきたい。

4月17日(金)、思いがけず、秋田県立近代美術館で開催中の特別展「親愛なる友フィンセント~動くゴッホ展」の内覧会に出席する機会をいただいた。地元テレビ局のアナウンサーの司会で開会式が行われ、華やかなテープカットのあと、主催者によるギャラリートークを拝聴しながら一足先にゴッホの世界へと踏み入れた。

筆致が光として立ち上がり、色と動きが静かに空間を満たしていくような展示だった。もし万博に「ゴッホ館」というパビリオンがあったなら、きっとこのような光と色の漂う空間になるのでは、とも感じた。ゴッホが瞬きをし、星月夜の空が流動し、サン・レミの草木が風にそよぐ…。作品そのものというより、作品世界をめぐる「イメージの流れ」の中に身を置くような体験となった。この最中、ふと少年時代の情景がよみがえった。小学生のころ、研修室にゴッホやモネの名画のレプリカが展示されたことがあり、画家ごとの世界観を旅するようなイメージが今回の体験と重なったのだ。あのとき見たゴッホ作品は「オーヴェルの教会」だった。本物ではないゴッホ作品に触れたのは、思えばあのとき以来だと思う。

展示室を出たところにグッズコーナーがあった。品揃えは充実しており、いくつあっても困らないしおりを2つ、それにマグネットを1つ購入し、帰路についた。

 

月の輝き

夕食後に海へ。この日は西の空に細い三日月があって、日没と共に静かに輝き始める様子が印象的だった。

波際にもずいぶんと人の姿が見られるようになった。夏本番を前に、いよいよ賑やかになってきたことを肌で感じる。隣町にある西浜海岸では、駐車場に吹きだまった砂が何台もの重機によって除去され、海開きに向けた準備が着々と進められていた。

いつもの海辺は物理的な距離こそ変わらない。だが、季節によって精神的な距離が変わる。距離の変容による移ろいそのものを、この夏も静かにフィルムに収めたい。

 

建築と写真

先日、秋田市にお住まいの建築家・Iさんのアトリエを訪ね、建築と写真について語り合う時間をいただいた。Iさんとお会いしたのは海を撮り始めて間もない頃、秋田市川反の「ココラボラトリー」で開いた個展に足を運んでくださったのが最初だった。今回のRAMOギャラリー展にもお越しいただき、建築と写真についてお話しできる機会を望んでいた私は、この機を逃すまいとその場でお願いすると、笑顔でご快諾くださった。

アトリエにはデスクを取り囲むように多くの書籍が並び、背表紙のタイトルを見るだけでIさんの思考の輪郭に触れたような気持ちになった。なかでも、「桂 KATSURA-日本建築における伝統と創造」は、ワルター・グロピウス、丹下健三、石元泰博によって共同制作された名著で、直に触れられたことは大きな喜びだった。さらに、白井晟一の「原爆堂」の図面を目の前にしたときは、鉛筆の線が宿す緊張と静けさに鳥肌が立つ思いがした。いまなお手描きで設計を続けるIさんの哲学が、その図面の奥に重なって見えた。

Iさんご自身の「海」の話にも及んだ。お互いの人生に海がどのように関わってきたのかを語り合う時間は、建築と写真という異なる分野でありながら、同じ地平に立っていることを確かめるようなひとときだった。初夏の風が窓辺を抜ける中で過ごした約4時間の語らいは、私にとって大きな学びの場となった。精進したい。

 

感謝と御礼

RAMOギャラリーで開催させていただいた「ゆらぐ海によせて・齋藤大悟展」が、本日をもって終了いたしました。会期中、お時間を割いてご来場いただいた皆々様に、心より感謝申し上げます。

皆様から寄せられたさまざまなご感想に、新たな発見や気づきをいただきました。また、皆様のお気持ちに触れることで、自身が見つめてきた海へのまなざしを、より深めていただいたように感じております。

ギャラリーオーナーの山田さん、奥様、常設展示作家の佐々木イサムさん、関係者の皆様にも心より感謝申し上げ、御礼のご挨拶とさせていただきます。

齋藤大悟